2015/01/05
この現代の日本に住んでいると、昔と違って客観的で合理的な時代にいるような気がして
しまいます。心霊写真もエンターテインメントだし、奇怪な自然現象も科学や統計で
説明がなされる。昔の人は雷は天の怒りだと恐れた、なんて話はあまり実感をもっては
聞けない。
でもつい先日「2014ありがとうございました」と2014年に今生の別れを告げたのに、たった
何日かたっただけで生まれ変わったみたいに2015年のお祝いをする。ただちょっと時間がたった
だけなのに。なんでもないはずのものに勝手に意味を与えて、惜しんだり、喜んだりする訳です。
僕も。充分に信心深い。客観性も合理性もなく、年をまたぐとなんかリセットされる気がしてしまう
のはすごいな。なんて思った2015年のスタートでした。あ、スタートとか言ってるしね。
あんまり関係ないけど、ネットとかでよくみる、「〇〇って現象はつまるところこういう事だ」←「こいつ
全然分かってない。実はこう」←「実はこうって言ってるのが、実はこう」←「っていってるやつこそ実はこう」
みたいな、客観、分析地獄が延々と続く感じは見てると好きなんですが、自分で考え出すとあっという間に
容量オーバーで思考停止です。
さらに関係ないけど、日光東照宮の有名な「みざるきかざるいわざる」は他にも猿がいっぱいいて一つ一つに
物語があるって知りました。そういうのいいですね。なんか。He is love-sick.ってのもいいですね。
意味を持たせるっていうのは大事だと思っています。
いきなり脈絡の薄い文章ですが、本年もよろしくお願いします。
2014年一番印象に残った単語は後輩がメールでくれた「ニーュス(←なぜか変換できない)」でした。